「ファニーの姿に自分自身を見ているんだ」『明るい瞳』ジェローム・ボネル監督インタビュー。
エキセントリックな言動で周囲の人間から変人扱いされている主人公ファニー。一見がさつなようでいて人一倍繊細で心に深い闇を抱える彼女が、兄夫婦と暮す家から出奔し、深い森を抜け、明るい光が差し込むログハウスに暮すチャーミングな農夫と出会う・・・。視線を交わすことでお互いの心を通わせあう彼らの交流は、多幸感に溢れまぶしく新鮮に輝いている。一人の女性の内面世界の変貌をこまやかに描き出す『 Les Yeux Clairs / 明るい瞳 』は、ジェローム・ボネル( Jérôme Bonnell )の長編2作目。
―何色もの椅子を主人公が背負っているポスターのビジュアルは、映画にも登場するシーンですが、主人公の風変わりなキャラクターをよく象徴している構図ですよね。
ボネル監督「最初はポスターに使う予定もなかったんですが、あまりにも印象的でオリジナリティーがある、ということでスタッフみんながこのシーンをポスターにしたらいいんじゃないか、ということになったんですよ。作品の中でも重要なシーンだし、チャップリンへのオマージュにもなっています。『モダン・タイムス』にこれと同じシーンがでてくるんですよ(笑)幼年時代初めてみた映画で、感動した映画でもあります。」
―映画製作において影響を受けている映画監督はいますか?
「今まで1000本以上の映画を観てきて、影響を受けている監督は100くらいいますが、特にチャップリン、ヒッチコックをはじめ、ルノアール、トリュフォー、ルネ・クレマン、黒澤、小津、ブレッソンなどに非常に影響をうけました。でも自分の作品に彼らの理論を持ち込んだりしているわけではなく、一観客として彼らの作品を大変尊敬しています。」
―作品の発想はどこから?
「最初に生まれた作品のアイデアは二つあって、一つ目は主人公のファニーは非常に悩み多き女性で、大変苦しんでいる。でも映画が進んでいくにつれて少しづつ脱皮していって、光が差し込んで息を吹き込まれたようにだんだん生き生きしてきて、そして自分が生きている喜びを表現できるようになる、そういう一つの変化を表現したかった。あともう一つは、おとぎ話のような側面をこの作品に持たせたかったということ。ファニーは前半では人から変人扱いされていて、家でもお兄さんのお嫁さんと上手く行かない。この兄嫁という存在はおとぎ話でいえば「意地悪なお姉さん」(笑)。そして争って、逃亡し、旅をして、森を抜け、そして愛をみつけ、最後には女性が変貌していく。それも最初から全部考えていたわけではなかったんですが、やっていくうちにそういう方向に作品がまとまっていきました。」
確かに兄夫婦との生活が描かれる前半でのファニーと比べて、言葉の通じないオスカーと過ごしているファニーの方がなぜか豊かなコミュニケートが築かれていたといえますね、そしてそこの部分がすごく幸福感をもって描かれていました。
「前半は、言葉の通じる人間同士がまったくコミュニケーションがとれない状況で、オスカーと出会ってからの後半は、言葉の通じない人間同士の豊かなコミュニケーションが存在していますね。それは、私は「言語がコミュニケーションの障害になる」という典型的な考えの逆を今回の作品で描いてみたいと思っていて、別の言語を話す男女の恋愛というのは長年夢だったテーマです。」
ファニー役のナタリー・ブトゥフ( Nathalie Boutefeu )さんとは短編映画をつくっていた時から一緒にお仕事されていたそうですね。監督が思う彼女の魅力とは?
「私が彼女を選んだのではなく、彼女が私を選んでくれたんです(笑)。21歳で短編映画を通して彼女と出会ったんですが、その時から彼女は私にとって重要な女優になりました。彼女の方が映画に関してはキャリアがあったので色々教えてもらったりもしていました。それに一人の俳優を全然違う役でいろんな作品に出てもらって、「役柄を演じわける」そういうことにもすごく興味があるんです。そういった意味でもナタリー・ブトゥフさんとはまた一緒に仕事したいです。また、この作品はずっとやりたかったもので僕自身の思い入れもすごくあって自伝的な要素もある。俳優も誰でもいいというわけではなく、やはり彼女でなければだめだった。だからこのファニーという主人公も彼女に合わせて書きました。」
「自伝的」というのはどういう部分でしょうか?
「全部が私の経験というわけではないし、主人公は女性ですごく悩んでいる。私は男性ですし彼女ほど今悩んでいるわけではないですし(笑)。ただ、彼女の悩んでいる部分に私自身が自分をみるような感じがあります。そういう意味では私的な映画だと思います。」
風変わりと評されるファニーの言動ですが、例えば腕立て伏せをするお兄さんを無遠慮にまたいだり、ポスターのように椅子をいくつも背中にしょいこんだり、またピアノカバーをはずさずにカバーにもぐりこむようにピアノを弾いたり・・・。こうしたアイデアはどこから?
「そのシーンによってさまざまですが、お兄さんをまたぐシーンは脚本にはなくて、現場でちょっとやってみようか、といって提案したもの。椅子のシーンは脚本からあったものです。ピアノカバーをかぶって演奏するシーンは、ナタリー自身がその場でやってみたもの。俳優からの提案というのは私はすごく重要だと思っているので、シナリオ通りに俳優がただ動くだけではなくそういう現場から出てくるものを積極的に取り入れたいと思っています。また、映画というのは現場に入る前に俳優とは綿密に話し合って充分打合せをします。現場は楽しくやりたいと思っていうので(笑)。」
音楽ではシューマンのピアノ曲がいくつか使われていて、あの懐かしい感じが作品に合っていましたね
「私自身、シューマンが大好きですごくお気に入りの作曲家。小さい頃はピアノを習っていて、冒頭に使った曲も私が小さいときに弾いたシューマンの練習曲なんです。その後は続けられなくてピアノは辞めてしまいましたが、今でも私の心の中にはシューマンはすごく重要な作曲家として残っています。」
ラース・ルドルフ( Lars Rudolph )演じるオスカーも、登場の仕方からしてすごくかわいらしく、まるで森の中の妖精が人間の男に化けたようでした(笑)
「ドイツ人の俳優を探していて、ドイツ映画をたくさん観ていて、『ヴェルクマイスター・ハーモニー』で彼を観てこの作品にぴったりだと思いました。最初にベルリンに会いにいって、その後パリにも来てもらって、ナタリーと顔合わせしました。その時ももちろん二人は会ってはいますが会話はしませんでした。」
今後はどういった映画を作っていきたいと思いますか?
「やはり今回も孤独というのも作品の一つのテーマになっていましたが、次回もまた別の形での孤独をテーマとしたものを考えています。悩みや苦しみをちょっと面白いシーンを通して物悲しさを表現したりしてみたいですね。いつも同じようなテーマで作品を撮っているような気がしますが、やはりしつこく撮っていきたいと思っています。」
(取材・文:綿野かおり)