東京国際映画祭コンペティション部門作品『誰かを待ちながら』のジェローム•ボネル監督が、公開記者会見、Bunkamuraのシアターコクーンにてティーチインを行った。映画祭開催期間中に、単独インタビューにも快く応じてくれた。
第20回東京国際映画祭コンペティション部門に選出された『誰かを待ちながら』のボネル監督は、フランスの若手で最も期待される才能の持ち主の一人。2005年のフランス映画祭横浜、また今年公開された『明るい瞳』のプロモーションでの来日に続き、3度目の来日となる。
Q:金曜日に到着されましたが、東京の印象と映画祭の印象についてどう思われますか?
A:私は何度も来日しているのですが、来日する度に日本がどんどん好きになり、魅惑されます。日本の観客の心を自分の映画が揺さぶっていると思えるのは非常に嬉しい事です。日本には特殊な形の好奇心や映画に体する尊敬を持っていて、それはヨーロッパに存在しないと思っています。私自身、日本文化や日本映画を尊敬し、賞賛していますので、出来ればまた新しい映画でも来日ができればと思います。
Q:エンディングで2人のキャラクターが街を去っていきますが、最後に犬だけが街に戻ってきます。そこに監督は希望を託されていますね。
A:まさにそうです。おかしい事にフランスでは、多くの人がこの映画を悲しい映画だと思っています。僕はそう思わないんですね。特にエンディングの部分に希望を感じているわけですが、日本の多くの人は希望のある映画だと言って下さって嬉しいです。もしかしたらヨーロッパ、あるいはフランスの観客はきっちり映画が終わるのが好きなのかも知れません。僕は映画が終わってしまうと悲しいので、何か希望で終わらせて次に何か起こるかはっきり分からないというのが好きなんです。
Q:前作の『明るい瞳』も解釈を議論したくなるような余韻を残す終わり方ですよね。
A:そうですね。観客に自由があることがとても大切です。つまり登場人物、ストーリーに関して、自由に感じる事を選べる、いろんな解釈が出来るということが大事だと思っています。監督だからといって全てをコントロールするのではなく、自由さが好きですし、観客の方のほうが、私よりも答えを多く持っている事があると思います。
Q:年配の男性が映画を見て心を掴まれたと言っていました。まだ若い監督ですが、年齢が上の方の心を掴む作品創りとして、どういった事を考えられたのでしょうか。
A:私はいろんな周りの人に影響を受けて考えているので、特に年齢に拘っているわけではありません。しかし私の人生に対する恐怖感が表れていると思っています。映画の全ての登場人物は私の一部、私の深い感情を表しています。将来の恐怖といったものかも知れません。だから色々な年齢の登場人物が出ていると言えるかも知れません。
Q:最後にジャン•ピエール•ダルッサンがみせるエモーションが感動的でした。ダルッサンは監督の一つの分身として10年後、20年後の恐怖を表しているという解釈で宜しいのでしょうか。
A:そうですね。多分、多くのフィルムメーカーにも言える事だと思います。ルイは特に自分の感情をほとんど見せないシャイな人です。私も同じです。私にとって、映画は後ろに隠れつつも表現できるベストな表現手段であると思います。イメージやキャラクターの陰に隠れて自分を自由に表現できるという事です。
Q:この映画を通して観客へのメッセージはありますか。
A:特にメッセージというものはないと思います。いろんなキャラクターを通じて疑問を投げかけていますが、そこに答えはありません。一生を通じて人間というのは同じ事、例えば恐怖感などを学び続けていくように思います。映画を観たりする中で解決する事はなく、その時間を生きる事だと思います。これは映画に限らずアート全体に言えると思うのですが、答えがないからこそ、もっと映画を観たいと思うし、作りたいと思うんです。
Q:人の脚本で作品を作る事を今まで考えた事はありますか。
A:実を言うとそれを夢見ていますが、できないんじゃないかと思います。他の人の脚本を監督するハリウッドの監督などを心から尊敬しています。素晴らしい事ですが、フランスは違う。何年かしたら出来るかも知れないですが、フランス人は慣れていないと思いますね。
Q:名実ともに豪華なキャストを起用していますが、キャスティングはすんなり決まりましたか。
A:実は、キャスティングはラッキーな事に簡単でした。それぞれのキャラクターのファーストチョイスの人たちが決まり、とても良かったです。皆さん経験のある方で楽しかったですが、あまり経験がない役者さんと仕事をするのも楽しかったです。私は役者に自由を与える、彼らが自由に選ぶのを見るのが好きなのですが、そうすることで自分も驚きを感じる事があります。そうして映画づくりをもっと楽しめます。ただ、自由を与えるために撮影前に沢山の仕事、話し合いをしなければならない。自由を得るためには勤勉さが必要であると思います。
また、ボネル監督は10月21日にもBunkamuraシアターコクーンでティーチ•インを行った。記憶に新しい今年9月1日に公開された『明るい瞳』で長編2作目ながらも、新鮮みのある叙情的な作風が評価され、フランス映画賞では新人賞にあたる『ジャンゴ•ヴィゴ賞』を受賞したボネル監督。昨今、活気に溢れるフランス映画界で、次世代を担う新しい才能として期待されている。そんなボネル監督がティーチインに登場し、『ありがとうございます』と日本語で挨拶をした。
東京に来る事が出来て本当に感動しています。実は、この映画は日本で生まれたといっても過言ではないのです。2年前に横浜で開催されたフランス映画祭の時に来日し、その時に主演のエマニュエル•デゥヴォスに偶然会って、シナリオを読んでもらい、気に入ってもらえた事からこの映画ができました。観客の『いつも映画を作る際に、一環したテーマを持っておられますか』という問いに対し、『映画を作る際にはいつも孤独や恐れ、父親になる事への不安などの感情をテーマにして作っています。』とボネル監督。また監督の作中における『女性の強さと男性の弱さ』についての質問には『自分で意識して作ったわけではないのですが、改めて観てみると、女性の強さや勇気、男性の弱さが表れていると感じました。そもそも、女性が物語を進めていくわけですから。また、個人的な意見としては、女性は強い存在であり、地に足がついているが、男性は雲の上を歩いているフワフワした存在だと思います。』と述べた。
映画祭開催中、独占インタビューを快諾してくれたボネル監督。更にこちらの質問に熱心に答えてくれた。
Q:前作『明るい瞳』に主演したナタリー•ブドゥフさんをはじめ、ボネル組とも言えるマルク•シティさん、ジュディット•レミさんら常連俳優陣は今回、脇役として起用なさっていましたね。
A:彼ら3人とはとても親しい間柄なんですが、ナタリーに関しては今回の映画において全く当てはまる役がありませんでした。別に彼女を起用したくなかったのではなくて(笑)、役柄が合わなかったのです。でも彼女が出ないのは寂しいなと思い、撮影前日にシナリオにはなかった3匹の白い犬を連れた婦人役を急遽つくりました。そして彼女の役を、この映画に出てくる登場人物船員の“孤独”を反映するキャラクターにしようと思いました。だからこそ彼女は昼も夜も、犬だけを連れて一人ぼっちでいるのです。またマルクもジュディットも、とても好きな俳優なので、何らかの役で起用したいと考えていました。そこでマルクと僕はバナナを多食するユニークな人物ブシャルダンを練り上げ、ジュディットには『次回は大きな役をまわるからさ』って言いわけして(笑)ホテルの受付というチョイ役に甘んじて貰いました。
Q:主演エマニュエルさんとの出会いのお話がありましたが、その他の主要人物の起用はどのようにきめましたか。
A:最初に起用を決めたのはフロランス•ロワレ=カイユです。彼女は僕の長編デビュー作「LE CHIGNON D'OLGA」で大きな役を演じています。今回はシナリオを書いている段階から彼女をサビーヌ役に想定していました。他の配役に関しては、シナリオを書き終わってから決めたんですが、それぞれの第一候補であった俳優が出演をOKしてくれました。これほど才能に恵まれた俳優に囲まれた僕は本当にラッキーでした。
Q:街並みが美しいですが、ロケ地はどこでしょうか。
A:実は10か所、別々の街で撮影しました。これが映画のトリックで(笑)、あたかも1つの街であるかのように見せているわけです。それぞれの街はパリの近郊にあります。というのも、映画の製作にあたりパリ地方圏という自治体からの助成を受けていたため、パリ周辺での撮影が必須条件になっていたからです。でも1ヶ所では僕の想い描く舞台の背景にマッチする所がなかったため、色々な街の色々な場所で撮影する事にしたわけです。
Q:ルイの愛読書がフロベールの半自伝小説「感情教育」だと知るたびに周囲の人は驚きますね。お国では、フロベールを読むタイプの人間に対して、何かある種のイメージがあるのでしょうか。
A:フランスでは教養と社会階級がかなり結びついています。有名な作品を読んでいないというだけで、恥をかく場合もあるんです。なので、そんな風潮を逆手に取ろうと思いました。カフェの主人は子供っぽいんです。冗談好きで、ナンパもすればセクハラまがいの行為にもおよぶ労働者階級なんですが(笑)、そんな彼が高尚な小説「感情表現」を4回も読み返している。つまり、まさに驚きの対象となるわけです。そのギャップが彼を面白く、興味深い人物にしているのです。
Q:『自分が死んだら、棺桶に誰か女を一緒に入れて欲しい。素っ裸の死んだ女を。そうしたら別々の棺桶で腐るよりずっといいだろう。』というルイの台詞がありますが、それは監督ご自身の望みでもあるのでしょうか。
A:残念ながら答えはノーです(笑)。ですが、とても綺麗な表現ですし、僕には面白い感動的なアイディアだと思えたので、登場人物ルイの口を借りて語ってもらったわけです。
Q:『明かるい瞳』ではシューマンのピアノ曲がいくつか使われていて印象的でしたが、今回はオープニングとエンディングにピアノ曲を流されていますよね。監督はピアノ曲が特に好きなのですか。
A:常にシンプルな音楽の使用をこころがけています。デモンストレーション的な派手な映画音楽は僕の映画には使いたくないですし、合わないと思っています。僕が求めるのは押さえた感じの音楽。そしてピアノのソロ演奏こそがそれにマッチしていると思います。それも、沢山使うのではなくて、少しだけ使うのが好みなんです。前作ではシューマンの曲を、第一作目「LE CHIGNON D'OLGA」ではドビュッシーとシューベルトのピアノ曲を使いました。今回はグリークの曲を使用しています。
Q:物語には若い2費とが列車に乗り込み、犬を連れた婦人がカフェに入り、黒い犬が道をトットコ走り去っていく姿で終わります。この余韻の残る結末は、希望と新たな出会いを予感させますね。若いカップルと熟年カップルが誕生するのではないかという予感です。
A:仰る通りです。まさしくそのつもりで書きました(笑)。でも心外だったのは、フランスの観客の多くから『ちょっと悲しい映画だね』と言われてしまった事です。僕としては、かなり希望のある映画を作ったつもりなのにね。なので、とっても嬉しいご指摘です。