あらすじ
若きジャーナリスト、アルバンは、ドイツ人の日常生活についてのルポタージュを書くために、作家のアンドレアス・ハートマンとその妻エレーヌに近づく。アルバンは幸福そうな二人に嫉妬し、エレーヌを誘惑する。エレーヌを尾行するうちに、彼女の秘密をつかんだアルバンは、彼女を我が物とするため脅迫という手段を取るが…。まさにヒッチコックを思わせる“視線”のサスペンス・ドラマ。
Source : institut.jp
クレジット
監督 (1)
俳優 (9)
映画製作・配給会社 (3)
- 製作代表 : Rome-Paris Films, CC Champion
- Film exports/foreign sales : Tamasa Distribution
- フランス国内配給 : Lux Compagnie Cinématographique de France
クレジットタイトル詳細 (16)
- シナリオライター : Claude Chabrol
- せりふ作者 : Claude Chabrol
- フォトディレクター : Jean Rabier
- 作曲家 : Pierre Jansen
- 監督補佐 : Francis Cognany
- 編集担当 : Jacques Gaillard
- 録音技師 : Jean-Claude Marchetti
- Costume designer : Louis Féraud
- プロデューサー : Georges De Beauregard
- 共同製作 : Carlo Ponti
- 撮影技師 : Alain Levent
- Production manager : Bruna Drigo
- Assistant editor : Monique Gaillard
- Continuity supervisors : Aurore Chabrol, Suzon Faye
- スチールマン : Raymond Cauchetier
- 演出助手 : Jean-François Adam
技術面詳細
- タイプ : 長編映画
- ジャンル : フィクション
- 言語 : フランス語
- 出身 : フランス, イタリア
- Original French-language productions : 不明
- 製作国 : 大部分フランス (フランス, イタリア)
- 製作年 : 1962
- フランス公開 : 02/05/1962
- 上映時間 : 1 時間 20 分
- 経過状況 : 公開済み
- ニュメロ·デ Visa : 25363
- ビザ発行日 : 02/05/1962
- CNC助成 : 不明
- 生産のフォーマット : 35ミリ
- カラータイプ : 白黒
- Audio format : モノラル
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映画祭でのセレクション (1)
About
クロード・シャブロル監督作「悪意の眼」のレビューです。
一人の男の屈折した心情をほぼ全編その心の中の独白のみで描いてしまったこの映画は、完全な主観映画だと思います。
つまり観客は主人公の中の世界から出ることは出来ない。全く異質の土地へと辿りついた彼の孤独感や好奇心を観客は感じ、そのようなフィルターを通してしか映画の中の現実を見ることは出来ません。
主人公アルバンはステファーヌ・オードラン演じる作家の妻エレーヌを尾行するという行動に移りますが、こうした行動はまさに観客が望んだことを体現していると言えるでしょう。他人の行動を覗き見ることで視姦的な満足が生まれ、平穏に思われる日常をかき乱すことで無為な日常に刺激を与えて生きている実感を得る。
シャブロルはブルジョワの家庭に安定感のある生活を象徴させる演出をほとんどの作品でしていますが、それがあまりにももろく崩れやすいものだという視点を常に持っている。
それは「不貞の女」のように内側から秘密が暴かれて、家庭の崩壊寸前で不安定なまま立ちとどまるっていうケースもあれば、「悪意の眼」のように外側から秘密が暴かれ徹底的に崩壊してしまうこともあります。
いずれにせよ、安定感があると思われているものが実は極めて不安定な要素の上に成り立っていることが訴えられているんだと思います。それはもちろん、ショットの面でも多くみられます。
例えば泳げないアルバンが船上で動揺するところを捉えたショット。これはブルジョワ家庭ではなくてそれを見つめる側の男を捉えたものだけれど、エレーヌの夫ハートマンなどの周囲の笑い声が悪意を持って彼の耳に響き、画面の不安定な揺れが彼の不安を増長します。アルバンが彼らの「見かけ」に対して疑惑の目を向けるきっかけになったシーンとして申し分ない働きをしていると思います。
また終盤でアルバンとエレーヌとハートマンの三人が不気味に笑いを伝染させていくシーン。観客は三人の笑いのズレを認識しており、幸せそうに見える画面上に不協和音が潜在しています。
特にラストの俯瞰から捉えた邸宅のショットは印象的です。アルバンと逮捕されるハートマンとを隅っこに配置してほとんど見えない状態にすることで、まるで邸宅に圧迫されるかのような彼らの精神的な卑小さを露呈させ、同時にただの「もの」でしかないはずの邸宅が不気味な虚しさをたたえてそびえたっています。まるで主を失ったことを嘆いているかのようにも見えます。
僕が今まで見たシャブロル作品は、家庭が崩壊に向かいながらも微妙なラインで踏みとどまるっていう描き方が支配的だったんですが、この映画ではあまりにもあっさりと崩壊してしまう。
しかしそれはあくまで完全にブルジョワ家庭の外の視点から描いたからであって、何故ハートマンが狂気に陥って妻を殺害するまでしたのか、何故エレーヌは不貞に走ってしまったのかは明らかにされないという点で、「曖昧性」を終着点とするシャブロル流の描き方に合致するものがあると思います。
主人公アルバンの見たものは曖昧に満ちていて謎で理解しがたいものですが、これは同時にアルバンの視点と同一化してしまっている観客が抱く心情でもあります。
客観的な視点で世界を描くことなんて本当に可能なのか?ヒッチコックの「裏窓」で提起されたこの問題はアントニオーニの「欲望」で焦点化されますが、その経由地点としてこの映画が存在するという解釈は十分可能だと思います。
Source : filmcritics.blog.fc2.com