ロミー・シュナイダーとロッド・スタイガーが共演した愛憎スリラーの秀作『汚れた手をした無実の人々』(1975)を最後に、クロード・シャブロル監督と製作者アンドレ・ジェノーヴェは、そのコラボレーションに終止符を打つ。その後、シャブロルは間髪入れず、フレデリック・ダール原作の『Les Magiciens』の映画化に参加。彼のフィルモグラフィーのなかでも特に無視されがちな1本で、本人も出来に満足していないらしく、実際どこか雑な作りが目立つ作品だ。とはいえ、「予知能力」をモチーフにした風変わりな愛憎スリラーという内容は、それだけでなかなか興味深いものではある。
伊・仏・西独の合作で、オール・チュニジア・ロケ、しかも各国の有名俳優を無理やり集結させた企画先行型の作品だけあって、あまり自由が利かなかったのかもしれない(あるいはバカンス気分に呑まれて集中力がもたなかったのか)。いつもの緊密な編集スタイルが活かされていない感は否めないが、もしかしたら各国公開用にバージョン違いがあり、バージョンによっては監督自身が編集作業にタッチしていない可能性もある。ちなみに、ぼくが観たのは英語吹き替え版だった。そのあたりの詳しいことは、近日発売されるインタビュー本「不完全さの醍醐味――クロード・シャブロルとの対話」(清流出版)で語られているかもしれない。凄く楽しみ。
フェイタルな三角関係の愛憎劇と、その結末を予見する男、それを自ら操作しようとする男。主観と客観がひとつのドラマ内でトリッキーに交錯しながら、物語は「予見された結末」へと突き進む。実にシャブロル的な主題であり、実際には予想を覆すエンディングが待ち受けながらも、その余韻は紛れもないシャブロルらしさに溢れている。
ゲームを楽しむように夫婦関係に介入し、血塗られた破局に向かって彼らを操ろうとする謎の男エドゥアルドを、ジャン・ロシュフォールがのびのびと快演。その飄々とした悪意は、まさにシャブロルの好むところだろう。彼の演じるマニピュレーター(操作者)とはつまり監督自身の姿でもある。嬉々として他人の破滅の段取りをセッティングしていくエドゥアルドの存在には、これまで様々な「愛の悲劇」を作ってきたシャブロル本人の悦びがそのまま投影されているのではないか。ちなみに、シャブロルを敬愛するマイク・ホッジス監督も、そのものズバリ『The Manipulators』(1972)というTV作品を撮っている。
しかし、この映画の最大の欠点は、他の登場人物に対する作り手の興味のなさが、あまりにあからさま過ぎることだ。フランコ・ネロは終始、居心地が悪そうなオーラを発していて、笑ってしまうくらいである。ちょっとバカっぽい妻を演じるステファニア・サンドレッリは、まあ頑張ってるとは言える(彼女がホテルの部屋で、夫にもらった土産物の陶器を化粧台から落とすか、落とさないかのバランスで弄び続けるシーンが印象的だ)。明るい陽光に溢れ、広大な砂地と白壁の建物に囲まれた、異国情緒たっぷりの情景をバックにした画面にも、緊張感がまるで感じられない。常連カメラマンのジャン・ラビエも、このロケーションをどうしたものか頭を抱えてしまったのではないだろうか。
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